フラッシュモブが嫌われる心理学的な理由

協調性・コミュニケーション・人間関係の心理学
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フラッシュモブが嫌われる理由

フラッシュモブをやられてパニックになってしまうですとか、嫌な気持ちになってしまうというのは、わりと当たり前の心理だと思います。

なんで当たり前なのかというと、そもそもフラッシュモブというのはサプライズとして成り立っていないからです。

 

サプライズ的なお祝いというのは起きた瞬間に本人がすぐさまその意味に気づけるという前提条件が必要です。

 

たとえば誕生日。扉を開けたらクラッカーが鳴って「ハッピーバースデー」と言われる。クラッカーが鳴った音にはびっくりするけれど、クラッカーの音だと理解した瞬間、サプライズされた本人には「誕生日だから祝ってもらえた」という解釈が生まれます。たいていの人は自分の誕生日を覚えていて、その前後の日にはある程度の予測が立てることができます。

 

たとえ完全に忘れていたとしても、「誕生日には祝い事をする」という文化風習が無意識に記憶されているので、サプライズされた時点ではっと気づくことができます。

 

本人が「いま何が起きているのか」ということを理解できるから、自然と驚いたその次の行動として「ありがとう」という言葉が出せてお祝いされている自分を認識し、またみんなに感謝する自分を演じることができます。

 

しかしフラッシュモブの場合は誕生日などと違ってすぐさま理解できるような前後関係がなく、驚かされる側の人の頭の中は真っ白になってしまいます。人によっては自分だけ何も知らないという状況に孤独感を感じる場合もあるだろうと思います。

 

何が起きているのかわからないので、驚かされる本人にとってはとにかく怖いのです。まわりの刺激に敏感な内向型の人ほどこのときの恐怖は感じやすいと思います。だから最悪の場合はパニックになってしまう。

 

誕生日や何かのお祝い事によるサプライズは、ある程度予測できるので、そういう意味では本当のサプライズではないのですね。またイベント時間もずっと短いし、多くの手間がかかっていないのでサプライズを受ける側は変に緊張せずにカジュアルに対応しやすいです。

 

その性質から見てみると、フラッシュモブはサプライズというよりもドッキリに近いですね。イタズラ心で人を罠にはめてみんなで笑うドッキリです。ドッキリというのは、それをされた本人からしたら馬鹿にされた気分にしかならないし、まわりの人を信用することだってできなくなります。

 

というわけで、誕生日やお祝い事はサプライズされる本人にもある程度の認知がされているから喜ばれます。フラッシュモブやプロポーズをする場合も事前に相手に認知させることが大事です。

 

相手の答えをぶっつけ本番のプロポーズ現場で聞くのではなくて、二人きりで静かなところで真面目に話しあいながら互いに結婚を約束したあと、イベントごとでカタチだけのプロポーズをするくらいに考えておく方がいいと思います。

 

サプライズとドッキリを一緒にしてはいけない、ということです。

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