脳みそは実は勉強が好き
勉強が嫌いというのはよく聞く言葉です。しかし、私たちが人間である以上は勉強が嫌いということはありえません。
なぜなら人間の脳みそというのは何か新しいことを学ぶと喜ぶようにできているからです。
この機能がないことには新しいことは何一つ覚えられなくなり、生き残ることもできません。私たちは好奇心によって生かされているのですね。
なので「嫌いなものがある」「興味のない勉強がある」ということはあっても勉強自体を嫌いになるということはありえないのですね。
何の勉強が嫌いかを突き止める
つまりあなたが「自分は勉強が嫌いだ」と感じるとき、勉強の何が嫌いか、あるいは何の勉強が嫌いかということを自分自身に問いかけてしっかりと見つける必要があります。そして、本当の学びはそこから始まります。
たいていの場合、「勉強が嫌い」というのは「学校の勉強が嫌い」ということです。本来の勉強には枠組みがなく自由なものなのですが、学校の勉強となると話は別で、その組織の作った型にはまらない勉強は認めてはもらえません。
学校の勉強が持っている縛りの1つに科目があります。私たちはそれを普段は「授業」という言い方をしています。数学が嫌いだ、英語が嫌いだ、とかいうやつですね。
勉強の常識を疑う
数学の授業中に英語を勉強すると私たちは怒られます、なぜか。
同じように英語の勉強中に日本史を勉強していると私たちは怒られます、なぜか。
多くの人はこのことを当たり前だと思っています。しかし実際はそうではありません。
自分の好きなときに好きなことを学ぶ、それが科学が見つけた効率的な学びであり、本来の勉強です。英語の時間に英語の学習を強要するのは教える側の都合でしかありません。理想論ですけどね。
ただし、そのことに気づくことができれば勉強の本来の意味を捉え直せるようになります。理想論も使い方次第で役に立つのです。
教育を受けるのは義務ではなく権利
教師側の意見としては、自分の授業の間に別の科目の教科書を開かれると心が傷つくでしょうし、そういう相手に授業外で質問をされても受け付けたくないと思うはずです。
これも当たり前です。感情論であるとはいえ、人の半分は感情でできているので、こういうことが起きてしまうのは仕方がありませんし、一度にたくさんの人に教えることができればそれだけ効率的なので教師が間違っているわけでもありません。
しかし学生たちの立場として物事を見れば、自分たちは勉強する義務を負っているのではなく、勉強する権利を行使して学校で勉強しているということになります。法律にあるのは教育を受ける義務ではなく、教育を受けさせる義務なのです。
本当に賢くなりたいなら好きなことに集中する
つまり、好きなことはたくさん勉強してそうではないことにはできるかぎり時間を消費しないようにするというのは、作業の効率化としては当たり前のことです。多くの大人はみんなそうやって生きています。
好きでもないのに、30歳になっても60歳になっても何かの役に立つかもしれないからと言って、いつまでも英語や理科の勉強をしている人はいませんよね。勉強をするのは実際に仕事で使う知識だけです。
にも関わらず子どもたちには大人たちと同じ自由を与えず、定められた科目の学習を強要しているわけです。教育制度をどうするかという議論には様々な意見や賛否両論がありますが、まず単純な客観的事実の教育としては先ほどの説明のように不自由なものになっています。
脳科学が発達してきたのは最近なので、ある程度の不自由はしょうがないでしょう。
いかに無駄な我慢を省いて努力するかが重要
勉強が嫌いなことは大した問題ではありません。嫌いでけっこうです。嫌いなことを無理やり好きにならなくてもいいし、ましてや時間をかけてまで頑張らなくてもいいのです。
もちろん目標達成のための努力は必要ですが、努力=嫌いなことという図式は成り立ちませんので努力の話もまた別です。それは努力の心理学について読んでもらうとわかりやすいかと思います。
一番大きな問題は、好きなことを犠牲にしてまで嫌いなことをやってしまうことです。これは最悪な状況です。勉強というのは好きなことや夢を叶えるためにあるのに、これでは本末転倒ですね。
嫌いなことを続けると集中力が失われる
この状況を打開したり未然に防ぐためには、嫌いなことに集中するより好きなことに意識を集中する時間を増やすことです。
そもそも私たちは嫌いなものに長い時間集中することはできないのですが、もしも無理をして続けてしまったら相当量のエネルギーを失います。そして下手をすると集中する方法を忘れてしまう危険性すらもあります。
すると、好きなことに集中する力すらも失われてしまうのです。
ですから嫌いなことはとにかく、うまくかわすことです。好きなことに集中力をとっておくためには、自分の嫌いなことはなるべく生活の中から排除する努力が必要です。
嫌いなことをうまくかわす3つの方法
嫌いなことはうまくかわすことが大切です。ただし、「かわす」と言ってもいくつか方法があります。
だいたいこんなところですね。順番に説明していきますね。
最低限のレベルだけを維持することに集中する。
学校を例にするなら授業に出席して大人しくして出席日数や単位だけを確保するなどです。
目標達成のためにそれ以外のことは最小限の努力にとどめて体力と集中力を温存しておきます。
それが好きな人の力を借りる。
友達と一緒に勉強する、お金を払って誰かに代わりに作業をしてもらうなどがこの方法です。
後者がまさに社会の仕組みであり縮図でもあります。社会に出れば、他人に何かをやってもらうのは当たり前ですからね。
おもいきってやめる。
そもそも今の時代は学校に通わなくても高いレベルの勉強はできます。むしろその方が時間や場所を気にせず好きなことに集中できるので効率的です。
あとは世間や家族を説得できるかどうかです。難易度は高めですが、これには説得の心理学が使えます。
以上が嫌いなことをうまくかわす3つの方法です。
好きなことのために嫌いなことはうまく避ける
最後にもう一度言っておきますが、あなたが嫌いなのは勉強そのものではなく「人に強要された、あなたにとって興味のない勉強」です。
嫌いなことは完全にやめるか、将来的にやめるために今だけ適当にこなせばいいのですが、好きなことを全力で学ぶ姿勢だけは忘れないようにしましょう。